2019年06月24日

おはぎとドリアン

おはぎとドリアン


ある日、一般塾生の睦実さんからご質問を受けました。

「あやさん、『おはぎとドリアン』って絵になりますか?」

・・・中空を見つめ逡巡すること数秒。

やはり分からなかったので「…どうしてそう思ったの?」尋ねると、きちんと理由がありました。

睦実さんの大学時代の学友・インドネシア人の方に絵を描いてプレゼントしたい。
日本のことわざで“思いがけない幸運に会う”ことを『棚からぼたもち』というけれど
インドネシアにも同意のことわざがあり
そこでは『ドリアン』が『おはぎ(ぼたもち)』として表現されているのだ、と。

…以下私の想像ですが
学生の頃のふたりがそんな会話をして「へぇー!」と互いに驚いた思い出があるのでしょう。
その絵を送ることで相手の方もその出来事を思い出しフフ、と微笑むはず…。

最初は突飛に感じた画題に納得するのでした。


……しかし、それをどんな絵にして表せばいいのだろう。。

絵を描く時は、本番の紙やキャンバスにいきなり描くこともありますが、
紙やクロッキー帳にラフを描いて構図やアイデアを複数案描きだしてから絞り込んだり別案と組み合わせて折衷案にしてみたりと、検討を行います。
方向性がきまったところでイザ、実制作へ…!

この過程を疎かにしてしまうと、なりゆきまかせになってしまいます。
なりゆきまかせに描くこともそれはそれで楽しいのですが…今回の目的は『プレゼント』。
意図したことが相手に伝わらなければなりません。

『おはぎとドリアン…ううむ、どう見せるか。』
一緒に頭をひねりながらラフを描き出してみます。

スタンダードに並べてみる

▲…ひとまず並べてみる。
地面に影がつくと…おはぎはお皿に載せたくなるのが人情。

平面構成風。宙に浮くおはぎ。

▲平面構成風…意味がわからないので没。

ピレネーの城(マグリット)風。
▲浮かせてみる。(マグリット"ピレネーの城")

さらに浮くおはぎ。
▲さらに浮かせてみる。友人と睦実さんの後頭部を入れたり…

マグリット風
▲マグリット風リトライ。("これはパイプではない")

棚からドリアン

・・・棚からドリアン。


……だんだん大喜利みたいになってきてしまいました。
(そもそも『おはぎ』の通念とは粒餡か、こし餡か…?)

しばらくして
「こんなかんじ、どうです?」
声がかかり、彼女のラフを拝見。

睦実さんのイメージ画

ドリアンは何処(いずこ)…?

「これ(右)は…?」
「ドリアンの切り身です。」

・・・なぜ、切り身(スライス)…!?

「一見して『ドリアン!』って、分かりやすい方が良くないですか?」
「ウ~ン…でも、『これ』なんですよ…。」

『切り身案』で描きたい!との本人のご希望から
『Ohagi』『Durian』と文字を添えてイラスト的にしてみましょうか。ひとまず構想は着地したのでした。

ラフ決定案。
(実制作はご自宅で描かれたため、絵の写真がなく…ラフですみません)

ご友人には制作意図も通じ、とても喜んでもらえたそうです。


それから数日後。
学生時代にアジア諸国を旅したという一般塾生・Epimbiさんにこのお話をしたところ『ドリアンの切り身』のくだりで「…現地の人ならそれ、分かると思いますよ。」と真面目な表情でおっしゃいました。

果物の王様と呼ばれるドリアンは生産地でも高級品。
Epiさんが旅行に行った際、買い求めやすいようカットしたドリアンが普通に売っていたそうで『学生の貧乏旅行とはいえ、一度は食べてみたい…!』と、食したそうです。

「…して、そのお味は?」
「バナナと、バニラアイスを合わせたような味でしたねぇ…」

ゴツゴツ・トゲトゲとした形状こそがドリアンのアイデンティティ、と思い込んでいた私は…正直なところ、実物を見たことも食べたこともなく。

そんな私が『客観的に伝わらないのでは?』と危惧した『ドリアンの切り身』というビジュアルは、実際に食したEpiさんや現地の友人を持つ睦実さんには「わかる」モノで。

その地の文化や場所、個々人の経験値に応じて「あたりまえ」は異なるのだなぁ…
当然といえば当然のことなのですが…
自分の狭い「あたりまえ」の尺度について考えさせられる出来事でした。


ちなみにインドネシア版の『棚からぼたもち』は
『落ちている(きた)ドリアンを手に入れる』というそうです。

mendapat durian runtuh


塾生さんとの日々の中で、お気に入りの話のひとつです。



「…というのが、『おはぎとドリアン』のお話。」
締めくくると、
ニコニコ聞いていた当時受験生のSetoちゃんが
「…なんだか落語みたいなお話ですね!」と…。

ん、落語かな…?
いやいや短慮にリアクションしてはイカン。
私は落語の知識に長じていないのだから。
でもコレ、落語的オチなのかしら…ううむ、もっと勉強せねば。それから適した返答を考えよう。

…新たな悩みが生まれたのでした。

ーー 追記 ーー
後日、睦実さんが絵の画像を送ってくださいました。
『おはぎとドリアン』by睦実さん
プレゼントする際には文字を消し、背景に花を増やしたりと加筆したそうです。
文字…もはや蛇足であったか…(苦笑)。。

個性的でチャーミングな睦実さんの作品ページはこちら(いづろ画塾ギャラリーサイトより)
Instagramも是非▶︎保科睦実 Hoshina Mutsumi
2015年に入塾され、昨年末お母さんになりました。

博識でいろんな視点からお話してくださるEpimbiさんの作品ページはこちら(いづろ画塾ギャラリーサイトより)
2011年の入塾から約8年。キャンバスを抱えた塾長と偶然同じエレベーターに乗り合わせたのがご縁のはじまりでしたね。




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Posted by いづろ画塾 at 15:23│Comments(2)日々塾生
この記事へのコメント
一度は「ふ~ん(♭)」と読み流した「おはぎとドリアン」でしたが
少し経ってまた読み直したら、可笑しくて
今度は「へ~(♯)」と読み、いろいろそのやり取りのSCENEを
想像してしまいました。

突然の異種物の組み合わせの提示に考えを巡らす様、
話を聞いて納得するコミュニケーションの健全な様。

落語の話が出ましたが、何だか・・・え~っと・・・分からなくもない
・・・うん・・・そうかも
この記事の登場人物それぞれの方の何というか・・・「らしさ」が
滲み出ていて、なんとも愛おしい所は確かに落語の中に生きる人物と
似てる・・・かも

一度目の通読と、二度目との違いは何だったのだろうと自問すると
・・・まだ自分の中ではっきりとしないのですが、つまり・・・
見ているようで見ていない、いや見ている体(てい)で見ていた・・・
分からないことを知られないために「わかるな~」と寄り添う体で
いたこれまでのように。

「虹だ、ホントに七色に見えるね」 「えっ?そうかな」
「えっ・・・」  的な。

今はものごとをありのまま感じることが出来つつある。
そんな自分の変化を「おはぎとドリアン」で確認できた。
見えない風が見えた・・・的な。

そして・・・私もそこに、いってみたいなと少々思う日でした。

「これ(右)は・・・?」
「ドリアンの切り身です。」
「一見して『ドリアン!』って、分かりやすい方が良くないですか?」
「ウ~ン・・・でも、『これ』なんですよ・・・。」←←←ここが好き。
Posted by kjkrtt at 2019年07月28日 19:32
kjkrtt さま。

素敵なコメントありがとうございました。

『見ているようで見ていない、いや見ている体(てい)で見ていた・・・』
↑この表現が、デッサンに必要な感覚そのものだなぁと感じました。

デッサンは絵画の基礎と言われたり、How toや技巧面に目が行きがちですが…
対象(モチーフ)への『これは○○である』という自分の観念(思い込み)めいたものがいかに不確かで、寧ろそれが自らの視野や判断を狭めてもいる事に気づくことにはじまり、そんな『不確かな自分の知覚』を自覚し疑い、客観的確認・補正しながら(方法は割愛しますが)描き進めていく。テクニック諸々はそれからの話。…この感覚はいろんなことに通じる気がします。

…と語りつつも、ドリアンに関して私はこの感覚を活かせなかったわけですが(苦笑)

(私にとって)突飛に思えたはじまりののち、塾生さん個々の観点・知見によってポン、ポン、と様相が変わっていった展開が心地よい、とても好きなエピソードのひとつです。対話することって大事だなぁ…と申しますか。

直接お会いしていなくとも、kjkrttさんから今回いただいたコメントもそのキャッチボールのひとつになり。…出来事自体はすこし前のことではあれど、当人さんたちに後日いただいた『あやさんよく覚えてましたね〜。当時の記憶が蘇りました!』というリアクションもまた。…おもしろいですネ。

『見えない風が見えた』…素敵な表現ですね。
そのご自身の変化を感じられる、小さなひとつとなれたのならとても嬉しいです。

デッサンに関して硬い話を書いたようにも思いますが…もちろんデッサンはほどほどに、自分なりの創作を思い切り楽しんでいる塾生さんもいらっしゃいます。個性的で愛すべき方々とのエピソードを今後も少しずつでも記していけたら…と思います。 ありがとうございました。
Posted by いづろ画塾いづろ画塾 at 2019年07月29日 19:41
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